天方城址とのつながり

天方城址とのつながり

その昔、城主 天方山城主通興と長男の通綱は家康を
支え、その後天下統一を成し遂げる手助けをしました。

天方氏のルーツは、大化の改新で活躍した藤原鎌足に
まで遡り、天方姓を名乗ったのは、備後から遠江に移っ
た1400年前後と伝わっています。

弊社の代表者「天方啓二」は、戦国時代今川家、後
に家康の家臣となった通興の末弟、通秋の子孫にあた
り、現在「天方城保存研究会」会長を務めています。

天方城主天方氏の系図

通季 / 通植 / 通興 / 通綱
通季 / 通植 通興 / 通綱
天方城主天方氏の系図

通綱は、元亀4年(1573年)3月以降、徳川家康の家
臣となり、天正7年(1579年)9月家康の嫡男岡崎三
郎信康自刃の検使役を仰せつかる。介錯役の服部半蔵
が信康の傳役(モリヤク)で子供の頃からの付き合いで
あったため介錯できず、通綱がやむなく介錯する。
その後、高野山に蟄居する。およそ10年後、家康の二
男福井城主松平結城秀康に千五百石で召抱えられる。
通綱は福井城下にて死去。享年73歳。